「菜の花の沖」(五)

新装版 菜の花の沖 (5) (文春文庫)

新装版 菜の花の沖 (5) (文春文庫)

たとえば、江戸期の初期と、その末期において時代が重なっている中国の明王朝(1368〜1644)は、徹底的な重農主義をとり、商業を極端に抑えこみ、銅銭(永楽通宝など)は鋳造したが、これを民間では使用させず、鉄則として農村に対し自給自足の体制をとらせ、古代のような物々交換をおこなわせた。自国民の海外渡航を禁じて、「片板モ海ニ入ルヲ許サズ」とし、人民が海外で新奇な見聞をして脳細胞を無用に刺激されることを禁じた。
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明とほぼ同時期に興った李氏朝鮮は、それに影響されてそれ以上に徹底的な農本主義、物々交換の体制をとり、貨幣を消滅させてしまった。朝鮮においては、公認される価値観は、官学の儒教だけになった。明は1644年に滅ぶが、李氏朝鮮はなおもつづき、この体制を徹底させ、理屈っぽい朱子学を官学とし、そのまま二十世紀初頭まで人工的古代体制をつづけてしまう。明治末期の日本に興った悪しき帝国主義が、朝鮮という朱子学と田園だけに価値を見出す一種の観念的理想国家を併呑してしまうのである。
(p.44)

動物は野生のままでは家畜にならないように、人も普遍的な思想(たとえばキリスト教や回教)によって飼いならされることがなければ野獣に近く、人になりえない、という証明不要の考え方が、アーリア人セム・ハム語族にあったのである。
(p.106)