坂の上の雲 ― 愛国心の傾向と対策

新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫)

今年の誕生日を迎え、目出度く48歳になった。年齢だけはもう十分立派なオヤジになったわけで、「オヤジの必読書」と世評の高い本書を読んでみた。長編であり、しかも今から百年も前の戦闘史の再現に多くのページを費やしているその内容にも関わらず、何ら苦にならずに通読できたのは、著者 司馬遼太郎の力量に他ならない、と先ずはそのことに感心した。

司馬さんは太平洋戦争に戦車兵として従軍され、戦後その戦争遂行の愚かさへの批判として、日本、この国とは何であるのかを問い続け、数々の「歴史小説」を書き継がれてきた、という。本書の主題である日露戦争はまさに国家存亡の危機であって、国民はその身を挺してその危機の打開にあたった…。明治における健全な愛国心といったもの、それが本書の描き出すひとつの精神状態である。その後、太平洋戦争に至る過程でそれはどのように変質したのか?大日本帝国憲法をもつ立憲君主制という制度自体は変わっていないのに、国家の体質は大きく変わっていった。この変容こそが本書の通奏低音であるとも言える。例えばマスメディアの影響について*1

日本においては新聞は必ずしも叡智と良心を代表しない。むしろ流行を代表するものであり、新聞は満州における戦勝を野放図に報道しつづけて国民を煽っているうちに、煽られた国民から逆に煽られるはめになり、日本が無敵であるという悲惨な錯覚をいだくようになった。日本をめぐる国際環境や日本の国力などについて論ずることがまれにあっても、いちじるしく内省力を欠く論調になっていった。新聞がつくりあげたこのときのこの気分がのちには太平洋戦争にまで日本を持ちこんでゆくことになり、さらには持ちこんでゆくための原体質を、この戦勝報道の中で新聞自身がつくりあげ、しかも新聞は自体の体質変化にすこしも気がつかなかった。


司馬さんは山本七平との対談*2で以下のように述べている。

司馬 結局、官僚制の欠陥だと思うんです。日露戦争までの政治家、高級軍人というのは自分がこの国をつくったという責任で、中小企業の自営の経営者と同じなんですね。もうこれでゼニがしまいだといって、女房と相談するみたいなところがあるでしょう。ところが、それ以後は官僚としての自分の出世についての考慮しかないんですから、国家への責任というのはないですね。

山本さんはまた別のところ*3で、明治国家とは日本という親木に西洋の政治システムを「接ぎ木」したものであると例えた。

明治人には「接木した」と明瞭な意識があった。というより意識を持たざるを得ないのが現実であり、彼らにとっては、昨日までの自分と今日の自分を比較すれば明らかなことであった。そしてその意識を明確にもっていることが、一種の健全さを保持させた。というのはそこに明確な自己把握があり得たからである。だがこの自己把握は、大正・昭和戦前・昭和戦後と進むにつれて、しだいに薄れていった。

失われた愛国心を再び取り戻すには、リアリズムに徹すれば良いだけだとも思うのだが、それが容易に実現されないのがこの国のエトスなのかも知れず、実はこれは幸いなことなのかも知れない。

The Elements of Journalism: What Newspeople Should Know and the Public Should Expect, Completely Updated and Revised

The Elements of Journalism: What Newspeople Should Know and the Public Should Expect, Completely Updated and Revised

*1:文庫版第7巻, p.218,

新装版 坂の上の雲 (7) (文春文庫)

新装版 坂の上の雲 (7) (文春文庫)

*2:リアリズムなき日本人(1976),

山本七平全対話 (1)

山本七平全対話 (1)

八人との対話 (文春文庫)

八人との対話 (文春文庫)

*3:

山本七平全対話 (6)

山本七平全対話 (6)