勝部真長 「勝海舟」

新装版 勝海舟 上

新装版 勝海舟 上

 人の好き嫌いというのは、この浮き世の人についてばかりでなく、史上の人々についてもいろいろとあって、勝安房守は私が最も尊敬の念をおく、大好きな人物である。それは先ず、子母沢寛の「勝海舟*1に依ってであり、大河ドラマで渡哲也の演じた麟太郎、それは実に見事なものであった。
 長ずるに及んで、小説はあくまで小説であって、本当の史実はどうであったのかと気になりだして、いろいろと書物を読んではみた。この書は当代において勝安芳の伝記として随一と信ずる。
 例えば…、

上がって、チョイと廊下を通ると十二畳の客間と六畳の間の列んだのがある。[中略] 床には、川村清雄氏筆、蛟龍天に昇る壮大の油画があり、上には、大久保一翁山岡鉄舟二氏の肖像が懸かっている。

赤坂の海舟邸を描写した「海舟座談*2」の導入部のこの印象的な一節に関しても、その屋敷の間取りが示されていたり(上巻)、数々の系図、果ては上野の山の戦争に関しては「東叡山焼失略図」(下巻)というのが載っていたりと、これらの図表は、いわばこの著者が納得するために集めたものであるということが分かって有難いのである。さらに言えば、表座敷には一翁、舟二の肖像をかけてあること、その意味についても考えさせる。海舟の端倪すべからざる二人の人物、といえば西郷隆盛横井小楠ということになっているが、表座敷は旧幕臣の多いこと故、尊敬する二人の幕臣の肖像をかけてあったのかとも邪推するのである。

現代におけるダイジェスト文化の支配は、どの本にもこの本にも無差別に「解説」をつけて、それによって、お仕着せの読み方を大量頒布するという結果を引き起こしている

藤田省三は嘆いて、吉田松陰についてはむしろ日記、書簡を編んで一書をなすべきとしたという*3。しかしながら、現今の一般読者が幕末の教養人の一次資料を読むのは、そう容易いことではない。本書は海舟の日記類を基本資料として、原文も示しつつ、解釈や歴史的状況についての注釈を適度に加えることで、通俗書が単なる「ダイジェスト文化」に陥る弊を逃れている良い例となっている。

著者 勝部真長は戦後長らく日本の道徳教育のために尽くしてこられた方だときく。そう聞いて実に意外な感がしたのだが、それは、その文におよそ道学者流の感じられぬことにある。続いて南洲の伝*4を読み、いま鉄舟の書*5を繙いている。惜しむらくは氏にして小楠についての書がなかったことである。

最後に、本書読後の、子母沢寛の小説に関しての私の今の考えであるが。私が最も危惧したのは、この小説が書かれた戦中、戦後直後という時代状況によって、小説の内容が影響されているのではないか、特に皇軍思想、国家神道に追従するものがあるのではないか、という点である。詳細の検証は小説を読み直してすべきところだが、今の印象としては「それほど悪くはない」と思う。逆に何か海舟を、現代からみても完璧に合理的な人間であると捉えると、それはそれで間違いを犯すのであって、あの時代、日本を一国として纏めるためには尊王ということはそれはそれで意味があったのだとも思う。あるいは水戸学・陽明学は、当時の士太夫の共通の教養となっていたのかも知れぬ*6。それ以外の部分については、よくぞ調べ上げたというほどに史実に即しており、小説流のロマンスありーで、結果として、この小説のエンターティメンとしての価値はいっこうに損なわれなかった。

*1:

勝海舟(一) (新潮文庫)

勝海舟(一) (新潮文庫)

*2:

新訂 海舟座談 (岩波文庫)

新訂 海舟座談 (岩波文庫)

*3:

吉田松陰の思想と行動

吉田松陰の思想と行動

*4:

西郷隆盛 (PHP文庫)

西郷隆盛 (PHP文庫)

*5:

山岡鉄舟の武士道 (角川ソフィア文庫)

山岡鉄舟の武士道 (角川ソフィア文庫)

*6:

近代日本の陽明学 (講談社選書メチエ)

近代日本の陽明学 (講談社選書メチエ)