近代日本の虚像と実像/山本 七平, 大浜 徹也

山本:ただ、浅見絅斎と林家でたったひとつ両者共通しているところは、いずれも科挙の制を取り入れねばならぬということは一言もいってないことですね。あれはほんとうにナゾです。あんなに朱子が絶対だ絶対だというんなら、ちゃんと科挙をやり、士大夫を挙げて、武士なんていうものはやめて、それが統治者階級になるべきだといわなくてはおかしいんですよ。けっきょく知識人というのは、どっち側にいるにしろ、体制を根本から変えるために組織まで外から導入しようという気はないんでしょうね。
(p.13)

山本:「しかたがない、いっしょうけんめい働こう」ということばが日本語にありますけど、日本の政治経済を研究しているあるイスラエル人にいわせると、これはどうしてもわからない日本語だというですよ。かれらの考えかたからすれば、しかたないのなら、いっしょうけんめい働かないはずだというわけです。ところが日本人のばあい、ここで心理的転換があるんですよね。ですからことばを解説すると、おそらく前世の因果だからしかたがない、職業は仏行であるから後世のためにいっしょうけんめい働こう、こういう意味じゃないだろうか、って話したんです。だから終戦のときだって、しかたがない、いっしょうけんめい働こうというわけで、自分の内面の問題として解決してしまう。まさに心理転換です。これはたいへん便利なんですよね。そのかわり、いわゆる歴史性はまったく消失する。
(p.120)

近代日本の虚像と実像

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