二流の人、あるいは空気の代弁者/保阪正康, 瀬島龍三—参謀の昭和史 (文春文庫)

瀬島龍三―参謀の昭和史 (文春文庫)

瀬島龍三―参謀の昭和史 (文春文庫)

瀬島龍三についていま思索を巡らすことの意味は何だろうか。太平洋戦争中は新進気鋭の大本営参謀、そして敗戦後はシベリア抑留で辛酸を舐めた後に伊藤忠の会長、第二臨調の陰の立役者となった、と肩書きを並べれば立志伝中の人物であり、反面、その成果を具体的に検証すれば、常に日本を誤った方向に導いてきたようにも見える。歴史の中での個人の役割を後世からとやかく言うことは、あまりフェアではない。毀誉褒貶などというものは時代なり環境なりに左右されるものであって、それ以前に人はひとそれぞれが立たされた環境の中でどうにか生きていくものである。
それよりも、いまの日本の大きな組織、官庁なり大企業なりで有能と言われている人たちと彼との類似点を観察してみる方が面白い。あるいは、あなたがそれらの組織で優秀と評価されている人ならば、自分と彼とを比較してみることは、多少とも意味のあることではないかと思う。
山本七平は、日本の組織では重要な局面における判断が「空気」によって支配されると言っている。そのような組織において優秀と認められるためには、他人に先んじてその空気を察知して、それを言語化し「空気の代弁者」となることが求められる。彼はそれに秀でていたように思う。そして、今年「KY(空気読め)」なる俗言が流行ったという。自分が正しいと思うこと(義)というのはこの国ではあまり重要視されないらしい。
和を以て尊しとなす、と人は言うが、聖徳太子がその言を発した背景には骨肉相食む畜生道の如き当時の宮中を巡る諍いがあったわけで、争いがあってこそ、和が重要なのだと思う。いままでの我々は「和」に囚われすぎていたのかも知れない。私の尊敬する勝海舟先生は、政治においては戦争しないことが一番重要だと仰ったそうだ。一方、瀬島龍三は戦略と戦術とを区別することが重要だと言っていたらしいが、その場の戦術としては争っても、大局的な戦略として戦わないこと、なぜそれができなかったのだろうか?
沈黙のファイル―「瀬島 龍三」とは何だったのか 新潮文庫

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幾山河―瀬島龍三回想録

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私の中の日本軍 (上) (文春文庫 (306‐1))

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私の中の日本軍 (下) (文春文庫 (306‐2))

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白痴・二流の人 (角川文庫)

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いまの私の興味は「辻政信」的なるものの方に向かっている。それはすでに解決されているのだろうか?